自転車で地図を描く「伊能忠敬プロジェクト」。
今回は仙台から南相馬まで、ちょっとノスタルジックなライドです。
過去ライド記録はこちら
伊能プロ① 豊橋-名古屋
伊能プロ② 三島-浜松(執筆中)
伊能プロ③ 三浦半島(執筆中)
伊能プロ④ 水戸-銚子
伊能プロ⑤ 新潟-鶴岡
伊能プロ⑥ 豊橋-浜松
伊能プロ⑦ 伊豆半島
伊能プロ⑧ 能代-鯵ヶ沢
伊能プロ⑨ 津軽半島
伊能プロ⑩ 富山-新潟
伊能プロ11 金沢-敦賀(執筆中)
伊能プロ12 名古屋-松坂
伊能プロ13 下関-広島
伊能プロ14 能登半島
伊能プロ15 男鹿半島
ちょうど医師になりたての頃、この地域に住んで働いていたので久しぶりの帰省です。
まずは仙台まで新幹線。到着後はひたすら仙台から海岸線を南下します。道はご覧の通り。
このルートは三陸海岸からうって変わり、起伏のないひたすら平坦な道です。
しかし震災の影響で防風林がなくなってしまったので基本的に強風にあおられながら進むことになります。
大きな国道10号線が通っていますが、こちらはトラックの多い道なのでサイドに走っている農道を利用することに。
道中で震災遺構に遭遇しました。
震災遺構とは、震災によって大きく破壊された建物を、取り壊さずに後世に残し、災害対策の重要さを訴えるために設けられた施設のことです。
この施設を存続させるにあたって、地域住民の方にとっては大きな葛藤があったと想像できます。
私がこの地域に住んでいた時も、「海を見るのも辛い」「壊れた建物を見ているとフラッシュバックしてしまう」と訴える地元の方がいらっしゃいました。
それでも辛い過去を受け入れ、未来の世代のためにこういった形で残すと言う決断をしてくださったのです。地元の方々に、敬意と感謝の意を表します。
ここからは震災遺構、山元町中浜小学校の写真です。
こちらの小学校は震災直後から避難所として機能しました。
職員の方の迅速な判断により避難した児童と地域住民90名全てが無事救助されました。
建物の被害を見ると、津波の威力の凄まじさが垣間見えます。
この避難劇は、日ごろから災害に対する備えがあったこと、そのうえに偶然が重なり、避難した方全員が無事生還しました。
多くの命を救った要因に、職員の素早い判断があります。
しかしこの素早い判断は、常日頃から防災に対して高い感度を保ち、訓練を重ねて有事に備えていたからこそ可能だったのです。
感傷に浸りながら、ライド再開。
すると見覚えのあるマークが。
まつなが乳業!!!!!!
南相馬といえば、まつなが乳業のまんじゅうアイス。
懐かしい甘さと硬さ。
まつなが乳業のこの有名なスローガン。ライド中飲むなら牛乳。
浜通りポータルサイトより引用
しみじみと回顧に浸りつつ、無事原ノ町まで到着。
今回の地図で仙台からさらに地図がつながりました。
さてこの伊能忠敬プロジェクト。勘のいい方はお気づきのことでしょう。
このプロジェクトは、現段階では完成しないこと決まっております。
今回走ったコースの続き、南相馬を南下していくと。福島第一原発事故後のエリアにぶつかります。
このエリアは、徐々に避難解除が進んでおります。
今年の春にはJR常磐線が全線再開をし、電車と車では通行できるようになりました。
https://www.minyu-net.com/news/sinsai/serial/10/10/FM20210310-593019.php
しかし、いまだに歩行者及び自転車の通行が認められておらず、「自転車で地図を書く」を目指すこのプロジェクトの場合、このエリアは通過できない、つまり地図は完成しないのです。
この事は開始前からわかっておりましたが、プロジェクトは始めようと決めました。
私の地図が完成する時、すなわちそれはこの地域に人が自由に入れるようになった時になるからです。それは遠い未来の話ではなく、着々と近づいている未来の話です。
この開通が決定したときに、改めて地図を完成させにこのエリアに戻ってこようと決めています。
ルート難易度 ★☆☆☆☆
走りやすさ ★★★★☆
補給ポイント ★★★☆☆
アクセスの良さ(都内から) ★★★★☆
アイスまんじゅうの固さ ★★★★★
通行制限区域の件、じーんと来ました。
「それは遠い未来の話ではなく、着々と近づいている未来の話です」すてきな文章です。